帰り道を見つめて
今年に入ってからだろうか、
いつからか、
死に向かって生きていることを意識するようになった。
自分の人生の終わり、死というエンディングを強く意識するようになった。
元々自分は、行き当たりばったりというか出たとこ勝負というか、
先々将来を空想したり見通しを立てたりするような性質じゃない。
苦しさや希望の無さから、死にたいとか死のうとかなったことはあっても、いずれ訪れる本当の終わりは感じてなかった。
感じてなかったからこそ死に心の安らぎや逃げ道を求めたんだろうけども。
年齢のせいなのか、人生が折り返し地点を通過した感じというか、
死んで消えるまでに、自分の為にやってやりたいことを思うようになった。
自分というか、この人のため、こいつのためにやってやらねえとなというか、
身近な人を見て想うような感覚で自分のことも見えたりする。
終わりを思うようになったら、侘び寂びの美しさもよく感じるようになった気がする。
日本の美意識っていうのは、生も死も丸ごと一つ捉えて、行きも帰りも、盛んなのも枯れて朽ちて行くのも、
それをもっと広大な悠久の時の流れの中から見ているような、老成した達観したような美的感覚なのかなと、最近になってからそう思う。