真実の探求Ⅲ 〜そして伝説へ〜

密教行、活元瞑想行などしながら書く日記

歴史は繰り返す

西教授が言っていた。
歴史は繰り返す。

時代が変わって、役者を変えて同じことを繰り返してるのが人間の歴史だと。


今のこの武漢コロナが100年前のスペイン風邪の流行と同じようだとのことがまことしやかに囁かれている。

歴史の100年周期説、80年周期説なども云われる。

スペイン風邪の流行〜世界恐慌〜第二次大戦〜、
同じことが繰り返されるのか。

武漢コロナもここまで流行がくるともう短期間でおさまるとは思えない。
実際にこれから恐慌が再来する可能性は極めて高いことが示されてる。

戦争の手法はどんどん進化している。今さら一般家庭の男子が、かつてのように徴集されて戦地に赴くなんてことは当然考えられない。武器弾薬を持って直接ドンパチをやるというのは二十世紀の主流で、バイオ、サイバー、宇宙軍と、もう軍も戦のやり方も主流は新しい形にどんどん変わっていってるという。
これからますます世界の国々が緊張状態、表立った紛争状態に入って行くことも予想されるが、どんなことになるのやら。

日月神示では世界の人口が相当数減るようなことが書かれている。
天地ひっくり返るぞ、と度々書かれている。
禊の済んでいない者は新しい世には住めない、生き残れないと、そのようなことが書かれている。



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歴史が繰り返されるという、これがまさにカルマというもののわかりやすい一つの形である。

時代を変え、役者を変えて、似たような場面、似たような出来事を繰り返す。

そして処理しきれなかったものを処理しようとしたり、相殺してバランスしようとしたりする。


禊をして(処理されてないのを処理して)人々の意識が高くなることで、これから起こる世の中の悲惨なことも軽減できるかもしれない。


同じことを繰り返しても、円環ではなく螺旋である。
誤りを改善して、必要なことを知って、学んで、できることをやって、
少しでも登る螺旋階段の一歩が高くなればいい。

カルマが試される時

東京もずいぶん自粛の影響が出てきた。

困ったことに活元会場も使えなくなってしまったため、今月、来月もかな?十分な活元は出来そうにない。

日本も、ウイルス感染、経済危機といった不安、恐怖感の暗雲が立ちこめて来ている様子である。
が、個人的にはその波に飲まれることもなく、今まで通り淡々と修行を続けている。

この先更に、金融危機やら予測出来ない荒波が押し寄せてくるであろう。


カルマが試される時に来ているんだなと感じている。

おそらく自分はこの荒波に飲み込まれることは無い。余波の影響は受けても、溺れてしまうようなことにはたぶんならない。
自分の意識がその領域から抜け出ているのがわかるので、そう言える。

不安、恐怖にかられている人、実際現象化して来ている人は、ここでカルマが出ている、出て来ていると言える。


幸いと言うべきか、自分の場合はもうこの数年間かけてこれらの業出し、浄化、禊祓いが大部分済んでいる。その期間はとても大変だった。
が、今はもう立ちこめる不安、恐怖とも意識が繋がらない。


各々の抱えるカルマ、徳分が露わになってくる。
徳を積まれて来ている人は、大変な中でも助けられてくところがきっと多くあることだろう。




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イタリア、スペインの方では致死率がとても高い。
日本とは事情がずいぶん違う。

そもそもこのウイルスはバイオ兵器として開発中だったものの漏洩、というのが一番信頼できそうな話である。

そしてその後、中共が途中から意図的に世界へ拡散している、ということもその可能性がおそらく高いと思う。

欧州で広まってるものと今国内で広まってるものは、そもそもバラ撒かれたウイルスの質が違う、というのが信憑性が高い。


日本はなんとか今程度の広まりで済めばいいとは思うが、
これ以上にひどい魔が入り込んで来ることのないように。

大洗濯の始まり

ついに崩壊が目に見えて始まって来たなという感じです。

世界がガラリと変わって行く、、、コロナウイルスをきっかけに、と言うかこれが序曲になり世界が大崩壊、大変革へ転がって行くことになりそうである。


もうブログを書く気はほぼほぼ無いのだけど、書いてる時間も勿体無いため、
でもこんな時なので少し書こうかと思う。



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チャイナ経済の崩壊から始まり、世界中、当然日本も経済事情が大きく壊れ変革して行くことになる流れにある様子だ。

自分にとってはついに来てくれたと言うか、この破壊と変革は喜ばしいことではあるのだけども、
 一方で色々予測できない大変な思いをすることにもなって行くかもしれないと、複雑な混沌とした気持ちではある。


質の高い情報をもとに(より真実の情報)、できる備えをしておかないとこれからはどうなるかわからない。
今のトイレットペーパー騒ぎのように、お金を持ってても店に物が無くて買えないとか、金融機関が崩れてきたら今度は現金を下ろしたいときに下ろせなくなったりとか、
ある程度先を見越して先手を打って準備できることをしておかないと、これはマズイなと周囲を見て気づいてからではもう手遅れということがこれから沢山起こって来る可能性がある。


情報をもとに予測できる範囲のことは、それはそれで早い段階から準備して行けばいいけども、予測できないことの方が多い。
特に今これからの変化は本当にどんなことになるかわからない。


こんな時に一番頼りになるのは自分の勘と感覚と、うーむ大丈夫であると、改めてこういう状況になってきて思う。
(うーむ大丈夫とは、腹の中に大丈夫が落とし込まれていれば現実はそれに付随して実際大丈夫になっていくという野口先生の言葉)

自分の場合は密教の行を通して培われてきた信仰というものが、このうーむ大丈夫と同じものになってる。


この先、最悪の状況下に生きる人には、生者が死者を羨むような、それほど大変な未来もあり得るかもしれない。


僥倖頼みではなく、自力で安心立命を得る者にしか無事、無難にやってくことができない未来がすぐ先に現れて来ている様子である。

今年も終わり

早いものでもう今年もそろそろ終わる。

今年からは新しい勉強をメインにやることになったが、一年もやるとずいぶん視点も変わった実感がある。

去年までは仏法に関することや霊的なこと、霊術的なことエネルギー的なことをメインにやってきていたと思うけども、今年からは自分が疎かったところ、経済、政治、世界情勢、近代史といったところがメインになってやってきた。
修行を続けてきたおかげかと思ってるけども、シンクロニシティがよく働いて質の高い情報を短時間で学べてるのはありがたい。

質の高い有識者、専門家の講義動画を見て、それでそこそこ学べる。
こういうところは良い時代になったなーと思う。
昔だったら本を探して時間をかけて読まないと得られなかったことが、そうとう時間と労力を短縮して得られる。




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去年くらいからだったか、
残りの人生の時間にも限りがあるんだなあと実感するようになり、
自分の大事なことにだけ時間を使わなければと、より強く思うようになった。

そして自分の意に反することに時間を使うことはもうほとんど無くなった。


残念、無念は残るかもしれない。
でも後悔だけは残したくはない。

自分の大事なこと、そのために生きた、そのためにその時出来ることは最大限やってきたと、
そう思えることだけは、心底思える生き方をしないといけない。