真実の探求Ⅲ 〜そして伝説へ〜

密教行、活元瞑想行などしながら書く日記

人間の世界

金曜ロードショーでやっていたもののけ姫
久しぶりに観たもののけ姫はずいぶんと印象も違った。自分の目線が以前と変わったからかと思う。


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改めて、人間はこうやって神々や精霊といったものを踏み潰して現在の住処を造ってきたんだなと思った。


人の営みを良く思わない存在からすれば、その所業は邪魔な悪以外の何物でもないかもしれない。
神々のテリトリーを侵し、人間都合で人間だけが棲みやすい世界を造ってきたけども、
多くの怒りも怨みも買っているだろうと思う。

ただ人として生きているだけでも、こうして罪業を積んでしまっているものなのだろう。



映画自体は、人間の所業をただ悪として描いているようなそんな単純な内容ではないけども、
今のこの自然災害とかが沢山起こっているこの時に、こうした人間の過去の所業を省みることはとても重要なことなんじゃないかなという気がする。


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土地や家も、買ってしまえば自分の物だからどう使ったっていいだろうと今の人間なら考えるだろうけど、
それは人間が勝手に作ったルールで人間同士でやり合ってるものであって、動植物や目に見えない存在からしたら関係ない、知ったことかであろう。


新しく家を建てる前には地鎮祭があって土地の神々に住まわせてもらう許しを請うのだから、自分が所有していても自分のモノではないのであって、

そういう節度をわきまえる姿勢みたいなものが現代は多く忘れられてしまっているように思う。
今災害として現れているのは人間が行ってきたことのしっぺ返しでもあろうと思う。


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アシタカの一族のように自然と調和して共生していた頃の人間は、祠を建てたりして神々を祀って感謝や畏敬の祈りと共に暮らしてたのだろうが、

今では神々を祀った神社も、人間都合の祝い事や私的なお願い事を聞いてもらうための場所になってしまっている。
たぶん、多くの人にとってそういう認識の場所になってしまっているような気がする。自分も何も知らなかった昔はそう思ってた。
誰も教えてくれなかったから知ることもなかったけど、本来はそうではない。それだけでない意味がある。


本来は、

映画で言えば、シシ神を祀っているようなもの、と言えるのではないかと思う。


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人間に追いやられ、埋没させられた神々や、何か人に反省を促そうとか気づかせようとする存在からのインスピレーションも受けながら、宮崎駿さんは映画を制作しているように思う。

自分のように、身近に誰も何も教えてもらえなかった人にも、こうして映画を通して教え伝えようとしてくれているものと自分は感じている。