真実の探求Ⅲ 〜そして伝説へ〜

密教行、活元瞑想行などしながら書く日記

空間の気

修行場を持たない在家の行にはやはり大きな欠点がある。

修行を行うための空間、そのためだけの場所を確保することが難しいことである。


今の自分の状況で言えば、
瞑想行を行うのも、寝るのも、ご飯を食べるのも、リラックスしたり本を読んだりするのも全部同じ部屋である。
神棚や御神体を祀っているのもその部屋である。

自分の住んでいる家事情、部屋事情としてやむを得ないのだけど、本当は神祭りと修行を行う部屋と、生活空間は分けた方がいい。


気はその場に染み付いていく、ということがある。
瞑想で動くエネルギーもそうであるし、自分の意識、思考、想念という人の発する気もそうである。



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修行のための、神祭りと修行だけの場を設けられればより良い気の場を作ってゆける。
できる限り日常の生活とは別の空間として、余分に物も置かなければより集中もしやすくなる。
物もそれぞれに雑多なエネルギーを出している、それらを排除できるだけでもずいぶん違う。

集中して日々瞑想行を行えば、自分の発するその意識も空間に刻まれてより良い空間が出来てゆく。
修行空間は、修行によって創り上げて行くものでもある。


できれば床は畳である。
畳は邪気の抜けが良く、座るのにも良い。日々の瞑想修行にはもってこいである。

ああ、畳の部屋が欲しい。


昔の茶道の部屋では、日常から完全に離れて立場も身分も関係ない特殊な茶の湯空間を作っていたようである。
場の持つ気というのも人の無意識に働きかけるから、そういう設計された茶の部屋に入れば偉い身分の人も立場を脱ぎ捨てて一人の人間になれたのかもしれない。



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今の住処ではこれ以上多くはいじれそうもないため、現状ではこれが精一杯かなと感じている。
整理整頓と掃除をよくすることくらいで、あとはできることもあまり無さそうである。
簡易的な結界を張っているくらいで他には何も施してもいない。生活空間であり賃貸でもあるため出来ることも限られる。

それでも、ゴキブリがそうたやすく入っては来れないだろう、くらいの良好な気の状態にはなっている。


今はそれぐらいである。