真実の探求Ⅲ 〜そして伝説へ〜

密教行、活元瞑想行などしながら書く日記

家系の因縁

先日見た夢、
親戚の誰かが亡くなって、葬式のあと皆が集まって食事をしていてそこに自分も同席してる夢だった。


それで起きてからふと思い返していた。

子供の頃から親戚がいっぱい集まる中に行くのは嫌だった。
そこにはいつもギスギスした嫌な空気があったからだと思う。
集まって食事してお酒を飲んで、顔は笑ってるけどその仮面の下はみんな般若じゃないかと思うほど(ちょっと大袈裟だが)漂ってる想念は子供だった自分にはストレスの近づきたくない不穏な空気だった。

特に父親の方は、母方の集まりに行くのは明らかに内心嫌がっていたのが子供心にもわかっていたけど、親戚との付き合いという義務感で行っていたのだろう。
結婚は家と家の結びつき、というのが強かった時代である。


田舎では今も盆や正月は親戚一同が集まったりとかよくするんだろうか。
皆が心から楽しんで集まってるような家もやっぱりあるんだろうか。

自分のところでは良かった記憶があまり無い。従兄弟に遊んでもらうのは楽しみだったけど。




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少し昔は家系、一族の中で厄介なカルマ(悪因縁)の消化をし合うというのが強く濃くあったと思う。
そういうものを背負ってる人が多かったと思う。
どこの家も一族内部での不和を抱えていて、それぞれの人生の足を引っ張り合うように切れない血の縁に縋ったりしがみついたりしていたものは濃くあったと思う。
それには義務感や体裁やら、財産や土地や墓の問題などなど、他にもいろいろあるだろう。


良く言えば一族の中で助け合う、愛と絆を深めるということもあるだろうけど、今の自分の目線から見ると、
なんだか狭い井戸の中でお互いに足を引っ張り合って上の広い世界へ這い上がれないでいる井の中の蛙かのように思える。

家系、一族のくびきに縛られて個人が自由に発展することを拒んでいるかのようにも見える。
昔の封建社会の名残りというか、そういうカルマに囚われている人はまだまだ多くいるのだろうか。




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今はもう時代は変わって来ている。
家系の横の繋がりとかにも縛られる必要はもうどんどん薄れてきている、と思う。
不本意な不要だと思える付き合いなどに貴重な時間を割くべきでない。


そんなことよりも今は、そしてこれからは個々人が自己実現を果たしてゆくこと、
それがなにより最も大事な時代である。とそう思う。
今を生きる人に求められている課題であるとも思う。

介護やなんかの問題にしても、家族、家系内だけで解決しなきゃならないという時代でもない。それがいいというものでもない。
介護のために若い人の自由が奪われてしまうというのでは未来のためにならない。


自己実現を果たすためには自立ということはやっぱり基礎になる。
「自立」「独立独歩」というのが基本的なキーワードになると思う。

これは自分に力がある事、自分に必要なものは全て自分が持っているのだということを認めてく、気づいてくことである。

自己の魂の覚醒の道ということだと思うが、
自分に無いことを認めて、外の何かに依存するという盲目的な状態から目覚めてくことであろう。


新しい若い人達の中には霊格も高く、足を引っ張り合うような悪因縁をほとんど持ってない人も増えているように感じる。
産まれ持ってそういうハンディが少ない人も多くなっている気がする。


個人レベルの話だけでなく日本のこれからということでもそうだろう。

西教授の話を聞いていても間違いないと思うところである。
アメリカの属国、ひどく言えば経済奴隷のような状態から抜け出して行くにも、
日本が自立、独立独歩という道をしっかりと歩みださなければならないと思う。
そうでなければ日本も国民も豊かになれない。



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できる限り多くの人が自己実現を果たしてゆく中で、これからの日本をより良く強く光らせることのできる人も増えて表舞台にも上がってくるのではないか。


不要なカルマ、悪因縁からはさっさと抜け出して、自分を信じ自己の道を力強く歩む者が増えれば、未来を覆う暗い闇も振り払われて行くものと思うのだが。