真実の探求Ⅲ 〜そして伝説へ〜

密教行、活元瞑想行などしながら書く日記

感応道交

今日活元会で、流れてる音楽に感応して自分の裡深くの感情がよく動き出していた。
改めて感応ということを思ったので少し書く。


悲しい感じの曲が流れ出すとそれに呼応して、裡深く眠ってる悲しみの感情が溢れて慟哭の叫びを発していた。

曲が変わって明るい上がり目の感じになったら今度はそれに合わせて歓喜の心がよく出て動いてた。




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野口整体では感応ということが柱になっている。
気を感応させて、動きの悪いものや止まってるもの、眠ってるものや未熟なものに刺激を与える。
その刺激が呼び水になって動かなかったものが動きだす、流れ出す。


そうして天心(裡なる神の心)を呼び覚まして行く。
元気(元の気)本気(本の気)という元々の自分が持っている純粋な気を呼び覚まして行く。

きっかけになるのが感応である。




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人は人との交流(感応)の中で裡に眠る様々なものを出して行く。

人との交流が刺激になっていろいろなのが出る。
カルマ(未処理の感情)も出る。

出てきた感情を、使って、表現して、流れてく。

喜怒哀楽、どれもよく動き、使って表現できるのがいい。


近頃のスピリチュアルとかでは、怒りや悲しみをただよくないと言うのを見たりするけど、
人間やってて、怒ることも悲しむこともできないでどうするのか、と思う。

どの感情もただの表現である。
元は純粋な愛のエネルギー、その人間流の、人ならではの表現の形である。

人間やってるんだから、人間らしくあればいい、そうあることが良い。
それが野口先生の思想だと思う。




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動きが悪いのが良くない。
止まったまま、眠ったままなのが良くない。

よく感応して、よく流れるのが良い。
感情豊かであるのが良い。



刺激が無いんじゃ生きてるのもつまらない。
感情豊かな方が味わい深い。

そう思い「平凡」を悟らぬ自分は未熟な愚か者だろう。
(※野口先生は若い時に、悟りとは平凡に帰ることと仰ってる)



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