今日の日記
今日は久しぶりに休日らしく過ごしている。
最近はブログを書く気があまり起こらないのだが、久しぶりに少し書こうと思う。
今月の西先生の話は捕鯨についてだった。
最近、政府がIWC(国際捕鯨委員会)からの脱退を表明し、日本近海での捕鯨が再開する。
西先生は日本は捕鯨をやめてはいけないと言っているが、非常に納得できる話だった。
理由を挙げると、
まず、今後起こるかもしれない食料危機に備えるということである。
日本が、自国で賄える重要なタンパク資源になるという理由。
これから先、世界中で食料危機が起こりうる。
これは日月神示にも書かれていた。
今の日本は自国で食料をほとんど賄っていない。食料自給率は低い。
もし世界規模でそうした危機が起こって来れば、国家間での取り合い奪い合いが一層苛烈する。
日本が自国で自国民を養えるだけの食料確保をしっかりとして行かないといけない、という話である。
日本の捕鯨に反対している国々は、善悪の話をしている。
クジラは海のペットだから殺しちゃいけないということを言っている。
かつて近代欧米は乱獲捕鯨をしていて数が減ってしまった。
欧米のクジラの使い道は油だけであった。
油を絞ってオイルランプなどに使って肉は捨てていた。
そういう粗末な扱いだったそうである。
日本の捕鯨は全く別物で重要な食料としてである。
北欧やアラスカなど北の国々の古い民族がトナカイやアザラシをタンパク資源として食べてきたのと同じであり、国の文化である。
こういう文化的に永く行われてきた捕食ではどこの民族もムダなく利用する。
肉も皮も油も骨も捨てるところはほとんど無く使う。
戦後の食料危機、食べ物が無かった時代にクジラの肉は貴重なタンパク源として食べられていたそうである。
そうやって食い繋いできた歴史もある。
スピリチュアルに傾倒している人からは「捕鯨」と聞いただけで反対の声も聞こえて来そうである。
クジラやイルカは高度な知的生命体であるという。
有名な宇宙存在もそう言っている。
自分も感覚的にこれは分かる。
地球のエネルギーバランスを整えるのにも重要な役割を果たしているとも言っている。
反捕鯨国ではクジラを食べるのは食人と同じとまでの考えもあるのだそうだが、
ちょっと自分にはそうは思えない。
文化的に行われてきている、食べる、食べられるという関係は自然の中にあっては共存、共生の証でもある。
そうやって食べられてきたクジラ達が民族を恨んで憎んで呪っているのかと言えば、たぶんそんなことはない。
宇宙存在もいずれ人間のクジラの捕食は無くなるとたしか言っていたが、たぶんそれもまだまだ先の話なんじゃないかと思う。
捕鯨も特殊な技術であり、一度やめてしまうと技術が失われ途絶えてしまう。
後で必要になってまた始めようと言っても技術者がいなくなれば復興も出来ない。
ただでさえ受け継ぐ人も希少なんだろうから、国の政策としてはまだまだ必要性のある継続すべき文化とするのが最善なのかと思った。