苦の道、楽の道
霊性の道、魂の覚醒への道には2つの道があるという。
カルマによる苦を受けながら進む「苦の道」はもう古いともいう。
カルマを手放し「楽の道」から覚醒へ至ることも今は可能となってきているという。
一般的に流布されている仏教では、その多くが生きることが苦であるとする視点から説かれている。
が、これは当時の時代背景によるところも大きいだろうと思える。
不条理と思えるような苦労だらけの中に生きていた多くの民衆、当時の人々の心に訴えかけるには苦を説く必要が実際にあったであろうと推測できる。
当時の方が今よりも遥かに、ネガティブなカルマにどっぷり浸かって人々はそれに翻弄されていたであろう。
日本の仏教はといえば、
自分が子供の頃から感じてきたことで言えば、とても陰気で暗い印象が強い。心が重苦しくなるようなものばかりで、
仏の愛情やさしさ、凛とした崇高さなどを感じられる機会の方がずっと少なかった。
人の死であり穢れでありを取り扱ってきたことで、過去からの人々のネガティブな想念が常に取り巻いているが故、というのが一番大きい理由の気がする。
仏教関連のものには、苦しみ悲しみ陰気さという重苦しく薄暗い影が濃い印象だが、
それは元々の仏陀の伝えたこと、仏教の核心ではなくてその後の歴史、後世の人々が造ってきた負の遺産だと思う。
自分がこれから苦の道を行くのか、楽の道を行くのか今はわからない。今は苦の道を進んでいると思うが、先は分からない。
自分がどっちの道を望んでいるのかもよくわからない。
そもそも覚醒を望んでいるのかさえ分からない。
ただ目の前に修行の縁があり、それをやってみるしかないと思うからそこに身を委ねている。
心の声に従って、出会ったものに任せるしかないからそうしてる。
だんだん、あがく気ももがく気もしがみつく気も薄くなり、往生際がよくなってきた気がしている。