真実の探求Ⅲ 〜そして伝説へ〜

密教行、活元瞑想行などしながら書く日記

焼けてしまった文化遺産

大変ショッキングで、悲痛な想いである。

どうしてこんなに胸が痛むのか、上空からの燃える十字架を見て涙が止まらなかった。


キリスト教徒でもないのに、、
人の歴史が燃えて無くなってしまうということに痛みを感じているのだろうか。

それとも前世で縁があったりもするのだろうか、、、。



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フランスには留学のような形で半年ほど暮らしてたことがあるから、もしかしたらそうした過去の縁もあるのかもしれない。

暮らしてた時も教会は好きでよく立ち寄った。あっちでは町に一つは教会があるし、慈愛と厳かさのようなものを若かった当時も感じてた記憶がある。
あっちに生まれ育っていたらきっとキリスト教徒になっていたんじゃないかと思う。
ノートルダム大聖堂には行ったことは無かったけど、今更ながら行っていればよかったと思う。



あれほどの偉大な歴史ある建造物がこんなことになってしまうなんて、
キリスト教圏の人にとっては無念もひとしお大きなものだろう。


たくさんのお金と労働力を使い造られたであろう偉大な宗教的建造物。
民族の歴史、アイデンティティ、人々の心の奥底に深く根差したものの一つの「形」であろう。
日本で言えば伊勢神宮高野山が燃えてしまったようなものではないか。
これ程のものは信仰の違い、教派の違いなど超えているものだと思う。
だからキリスト教徒でもない自分でもこんなに胸が痛むんではないか。


当然綺麗事だけで成り立ってるものじゃないだろう。
大きく偉大なものほど時の権力、支配とも強く結びついている。
無慈悲で残酷な数多くの犠牲の上に建っているということもある。

そこには人の持つ多くの醜さも浮かび上がらせる。
弱さも、強さも、愛も良心も浮かび上がらせる。 

人の心を惹き付ける力あるものは、心の奥底にある裏も表も浮き彫りにする。

だからこそ宗教は偉大なのだろう。



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ただ永くそこに在り続けている、

それだけで偉大だと感じる。


大自然の産み出したものじゃない、
人の造りし想いの塊。人の歴史。



過去から続く数多の人々を、そしてその人々の善も悪も、美しさも醜さも憎悪も慈しみも、

そのあらゆる想い全てを飲み込んで、
何も語らず黙ってただそこに悠然と在り続けている、、


こんな偉大なものが無情にも焼け崩れてしまうとは、、
本当に残念でならない。



キリスト教圏、あるいはヨーロッパになにか良からぬ出来事や崩壊の予兆となるのだろうか。



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曇りの時代へ

さっきまた今月届いた西教授の話を聴いていた。

元号の令和についても話していたが、西先生の印象ではこの新元号、文字も言葉も弱々しいと、他にもだいぶボロくそに言われているのがちょっと面白かった。
おっしゃる通り快活で力強い印象は全くない。明るく拓ける印象もない。



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あまりはっきり書くのも憚られるところだが、
新しい天皇陛下、令和の時代は暗い曇り空の時代になる可能性が高いと予測している。

どうしても否めない印象のある東宮家の暗闇。
お写真等を拝見しても東宮家が陰を一手に引き受けられているように感じられることはどうしても否めない。
秋篠宮家と光と影のように感じられる。


日本が新時代に明るく華開いていく可能性があるのは秋篠宮家がご即位されてからになるのではないかと、僭越ながらも予測をしている。

輝く光を負う者があればその影を負う者も必然現れる。
皇室にも当然、濃い影となる素因を抱えているだろう。


晴れの日があれば曇りも雨も台風も嵐もあるのがこの世である。
穏やかな晴れがずっと続くこともない。

これからの日本は占いで言うところの運気の悪い時期のような感じになるかと思っている。
悪い時期にはそれに相応しい過ごし方、向き合い方というのがあるだろう。

当然悪因縁もいっぱい出てくるだろうから、だからこそ禊の時代だと予測する。
業出し膿出しだからこそ禊祓いということの重要度が高まることになると思う。




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魂が覚醒してくる前に鬱などの状態を経験する人は多いという。
生まれ変わる前に、さなぎになって殻の中で閉じ籠って苦しむ期間を経ることも多いそうで、
日本もそうした流れになるのでは?と思うのである。


というわけで、日本が明るく力強く拓ける時代はまだ期待してない。

それよりも、影と向き合うこと、現実を見つめること、
そしてどうにかしていくこと、
光の遮られた暗い影を祓って行くことを大事として考えている。

気配


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この前神社の水溜りでメジロが水浴びをしていた。

なんとなく写真を撮ろうと思って準備すると、準備してる間にもすぐ警戒して水から出てしまう。

結局水浴びてる姿が撮れなかった。



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鎌倉の円覚寺ではリスがよくいる。
それも写真撮ろうとすると、摂る前に警戒されてしまっていいのが撮れない。


気を配る=気配であるが、野生動物の敏感さ、気を配っている範囲、センサーの働く距離感とかは流石だと思うばかりである。

こちらの心、意識の移り変わりをかなり遠くからでも感じ取っている。
人の意識が自分に向けば即座に反応して警戒態勢に入る。

できるだけ意識を逸らして写真を撮ろうとしても、やっぱりだめである。
こちらの気を全部読みとられてしまっている。



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自分も修行をしてきて以前よりずいぶん敏感になってるものもある。
こういう動物のように、人の気持ち、心の状態を気で感じとるのとかは大分鋭くなっていると思う。


野口先生は、夜中にパンっと手を叩いて内弟子達を起こして、突然そのまま講義を始めたりなんてこともしてたそうである。
野生動物のように、夜中でも物音一つでパッと起きてすぐに動き出せるようでなければいけないという、
そういう野生の感覚と敏感さが研ぎ澄まされて使えなければいけないと言うのが野口整体で、弟子の人達は苦労して身につけていたという話である。


古流の剣を受け継ぐ黒田鉄山先生のおじいちゃん、黒田泰治鉄心斎先生は子供の頃、
凶暴な犬に襲いかかられた次の瞬間、気がついたら犬の首がそこに転がっていた。
自分で意識するよりも速く、抜き打ちに斬っていたそうである。



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日本の古流の動きの世界ではそういう、現代人が考えるような意識的な動きではなく無意識の動き、野生の動きとして具わっている運動機能を練磨していたようである。

人間の持つ動物としての野生の動きを日常的な意識的な動作にまで昇華して、意識動作と無意識動作を一体にするような、そういう訓練が型を中心に為されていたようである。


ものすごく速い反射神経の動きみたいな感じだろうか。
そしてそれが何時でも発動できる、日常動作としてコントロールできる状態になっているという感じだろうか。


そうなると使い手は不意をつかれたからと言って、それでも相手よりも速く反応して先に斬っているというようなことになる。
暗殺も当たり前だった時代に不意をつく、奇襲をかけられてアンフェアだとかは言っていられない。

奇襲さえも返り討ちにできる力であり技でありが練磨されなければならなかっただろう。



野口整体もこういう古流の武の世界で培われていた動きやエッセンスを一部継承しているものと思う。

活元運動はまさにその野生の動き、野生の機能の働きを育てるものである。


気配に敏感であるというのは野口整体では良いことであり重要なことである。

現代の人間社会で生きるにはあまり敏感になると苦労する面も大いにあるが、
修行者としてはより敏感になって行くしかない。



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令和

個人的には好きな響きである。
いい印象というか、この時代にしっくりハマる印象だった。

自分は元々この「令」の字が好きだった。
字の形とレイと言う音の響きも感覚的に好みである。
自分に娘でも産まれたら名前に入れたくなる。



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令の漢字の成り立ちも調べてみたところ、なかなかおもしろい意味を含んでいた。
漢字の成り立ちというのはけっこう重要な意味を示していることがある。


冠は天、神を表し、下はひざまずく人の形象だそうで、
神にひざまづき、神意に従う、神示を受ける、というような姿が元のようである。

そこから転じて指令とか命令とかに使われるようになっているのかと思うが、どうだろうか。


年配の人とかは特に支配的なイメージ、権力とか恐れに繋がるイメージを持ちそうなものだが、一番元の成り立ちまで辿ってみると、
神を敬う神の国日本に相応しい印象ともとれる。


願わくば、
神意に適う新しい和の時代が訪れる、その暗示であってほしい。

それには必然、禊が必要になる。
そうなれば日本国にも、国民にも苦しい時代となる。
そう予測しているが、大難を小難無難にすることは可能である。
事が起こる前に、人の意識が変われば未然に防ぐこともできよう。

そのためにも各々が愚かしさ、浅ましさ、神意に適わぬ穢れはできるだけ落として行くべきと思う。


真善美、清く正しい、暴力、権力、強欲にも負けない本当の強い国日本となるよう、皆が日本を大事にして、これからの未来を盛り立ててほしいと願う。



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