真実の探求Ⅲ 〜そして伝説へ〜

密教行、活元瞑想行などしながら書く日記

今日の日記

しばらく書いてなかったので少し日記として書こうと思う。



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相変わらず断捨離、というか捨と離を進めている。
仕事と瞑想行の合間で徐々に進めているけど、次から次へと処分したいものが出てきてなかなか終わりが見えないところである。

今まで、これまでの半生、あまり過去をきれいに整理整頓するようなことはなかった。
まあ若いうちはえてしてそういうものだろうと思うけど、やはり先のこと、前方ばかりに意識が行くもので、過去を振り返って清算するとかは無かった。


今自分は一つの区切りのタイミングにいるのか、まるで終活をしているかのような気分にもなる。
過去の想い出の物と一緒に、その想い出も灯篭流しのような感じでありがとうさよならと大河か大海原へ流しているような、そんな感じである。


今の暮らしでの物だけでなく、実家にもいろいろ過去の物を残して来ていた。
今まで片付ける気になることもなかったけど、実家にたまに足を運んで片付けをしている。

実際両親はもう完全に老人で終活をしている。家の中もいつの間にかだいぶ片付いてきている。
戦後を生きた世代だからかとにかく物が捨てられない父親だったけど、臨終を見据えるようになったのだろうかずいぶんきれいに片付いたものである。
お迎えが来る前にきれいに片付けといてくれれば後々処理するこちらとしてもありがたい。


もう自分も今後住むアテのない実家であるから、何にしても自分の残した物もきれいに片付けて空にしないとなあというところである。


捨てるわけにもいかなかった物、楽器とか書物とかも良さそうな縁を感じるところに買い取りを頼んだり、
想い入れの強かった物、要するに執着の強かった物も手放していっている。


そういう執着の強かった物と自分自身が見えないところでよくよく繋がっていたのが、手放そうとする時になってみるとよくわかる。

ずっと忘れていたのにいざ手放すとなると、惜しむ心が出てきて迷う。
懐かしい想い出とか、失くしてしまうのがもったいない気持ちになる。

でも不要な物はいくら残してても仕方ないので手放す。


立つ鳥跡を濁さず


で、何処へ飛んで行こうというのか、、、わからない。


ともかく、今は先ず過去を全部片付けると決めたから、そうする。



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おもしろいもので、もう自分の物ではない、と意識下で手放しが済むと自分とその物と繋がってる見えない糸が切れる。

逆に言うと、これは自分の所有物だ、というのが意識下で働いているものは自分と繋がっている。


結界を張ったりするのに、仕上げに術者の意識を使うというのはたぶん多いと思うが、
術者の意図(イメージ)、意識下での思い込みで完成させる。


普通の人でも、住んでる家とかではその人の意識下の思いによる、その人の意識の結界みたいなものが多少なりとも働いてる。

感覚の鋭い人なら空き巣が入り込んだら遠くにいても気づくなんて人もいるかもしれない。
自分はどうかわからないけど。



そんなこんなの梅雨の最中、洗濯物があまりに乾かなくて困ったので急遽、除湿機を新たに導入することにした昨日今日である。