真実の探求Ⅲ 〜そして伝説へ〜

密教行、活元瞑想行などしながら書く日記

今日の日記

夜勤明けから日中気分転換に少し池袋をプラプラした。夕食を食べ書いている。

最近ドラえもんが気に入ってこんなのも買った。
高級な革製品とかより可愛くていいね。



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少し前から断捨離の時期を迎えている。

過去の物、執着していた想いなんかを捨てている。


これまで生きた半生とはお別れして、新しい世界に行こうという気持ちになってる。

懐かしい思い出の品も、もういいか、とぜんぶ処分している。量は多くないけど、結構時間もかかって大変である。


今まで生きた苦の人生、苦の世界から旅立とうとしているようにも思える。

初めて味わう気持ちで自分でもよくわからないが、なにやら魂が目覚めようとしているような感じがしている。


苦しみを捨てようなんて、実は考えたこともなかった。

苦しみから逃れよう、避けようとしていたことはあった。昔はそうだった。

それが、逃れられないから苦しみ抜くしかない、苦しみ抜こうに変わった。

自分の人生にはそれしかないと思ってた。


それが、予想しなかった形で苦を捨てる気持ちになっている。


もう、十分味わってごちそうさまという気持ちになっている。
こんなのは覚えてる範囲で初めての気持ちである。


これが覚醒への道?解脱に向かう?

もしかしたらそうなのかもしれない。し、違うのかもしれない。


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修行記録

一昨日火曜に伝法を受けた。

今回は仏陀、悟りを得たゴータマシッダールタとの繋りを深める行となる。

悟りを得たブッダは、当時人々からマハーナーガと呼ばれていたそうである。
意味は偉大なる龍との意味であり、ブッダと龍は非常に関係が深いということである。

ブッダと龍にまつわる特殊な法物を使い行を進めてゆく。



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話変わって、今日は伊勢屋(和菓子屋)の赤飯や海苔巻きを買って食べた。

そこの店のものは本当に美味しい。
仕事がすごく丁寧で、真心を込めて作られてるのがよくわかる。
素材以上に美味しく作られている。

作っているのはもう老齢のとても優しそうな方で、作るのはほとんど一人でやっているように窺える。


伊勢屋は他にもあって他でも食べたことがあるけど味は全く別物だった。あんまり美味しくなかった。


料理は作り手の心で大きく味が変わるというのがよくわかる。
技術以前の作り手の持っている、あるいは出している気が影響を与えている。


下手な人が作ったものは食べて気持ち悪くなってくることもある。悪いエネルギーが込められてしまっていることもある。
「手作り」といったら機械より良いとは限らない。
機械のほうが無機質だけど変なエネルギーは入ってないのでその方が良いこともある。
おにぎりとか巻物とか寿司とか、特に素手で触れながら作るものはてきめんに現れる感じがある。



やっぱり愛情の籠もったもの、真心の籠もったものが食べたい。



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相互運動

一月前くらいから活元会で相互運動をするようになった。
会でやっているのは2人が組んで背中合わせで正座して行う形である。

整体では背中が表と言う。
普通は顔のついてる方が表と思うが、整体的には背面の方がその人の全てが映っている表面になる。

背中、表と表を付け合わせて活元運動を行う。
相手と感応して、一人でやるのとは違う良さがある。


今日も活元会でやったのだけど、意外なことを感じた。

何回かやってみて、対人の恐怖が薄くなって行く感触を味わっている。



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自分は昔は人が怖かった。
一時期軽度の対人恐怖症のようになってたこともある。


今では普通に人と接してるけど、慣れない人や、人がたくさん集まるような場は苦手で人一倍緊張する。

心の底にまだまだ恐怖心が強くあるのは自分でもよく分かっていたのだが、

何人かと相互運動をして気の交流をしているとそれが和らいでいってるのを感じているところである。



ふと思い出したのが、
オーラの泉須藤元気さんがゲストで出た。
江原さん三輪さんに、心の底にある人に対する恐怖心と抵抗感を見抜かれて、
江原さんにちょっとそれ和らげましょうみたいなこと言われて、たしか3人で手を繋いで気の交流みたいなのをやってた。

たぶん愉気のようなものだったのだと思う。


これからも相互運動は会でやっていくと思うので、
これでもっと和らいでそのうち無くせるのかもしれない。

人に対する恐怖心は、人との愉気で癒して行くのが一番いいのかもしれない。

今日の日記 東寺展

プライベートではないけど上野の東寺展を観てきた。
予想外の混み具合で一般客は80分待ち、ズラリと列んでた。


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自分のペースで好きに観てたわけじゃないのでぜんぜんゆっくりは観てないけれど、仏像は一通り観れた。
やっぱりどれも変なモノが入ってるとかは無かったけど、明王尊像とかエネルギー的な垢、霊的な汚れがとても強くこびり付いてるような印象のはあった。

実際今まで見た仏像で、エネルギー的にそんな綺麗な状態のものはほとんど見た記憶がない。
一般人がすぐ近くで拝んで願掛けしてるものはたぶんほとんどが汚れが蓄積してるんだろうと思う。公開してない秘仏とかには綺麗なのもあるかもしれない。


てっきり仏像しかないのかと思ってたけど、曼荼羅とか他の仏画とか法具類なんかもいくつか展示されてた。
観れてよかったとても高エネルギーだったのが五鈷杵と鈴だった。
当たり前だけどこれは貴重である。これで瞑想してみたい。


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案の定中高年の方が大半だったけど、なぜ中高年はお寺や仏像が好きなんだろうか。
あまり信仰心があるとも思えない雰囲気の人でもなぜか見に来てる。
美術品を鑑賞しに来てる、、、ような上品さも無い。

今の中高年の人にとって仏教とはいったい何なんだろう。どういう位置付けなのか?

わからない。