真実の探求Ⅲ 〜そして伝説へ〜

密教行、活元瞑想行などしながら書く日記

微生物の要求

先日買ったコーヒーが当たりで絶妙に好みであった。



f:id:ikkyuw:20190518222534j:plain



ここへきて漬物に少々はまっている。
もっとも自分で漬けたりするような暇は無いため買ったものだけど。


スーパーで売ってるのはほとんどが添加物まみれで不味い。

きちんと漬かっていて発酵食品としての美味しさがあるものを探していろいろ試しに買って食べている。


修行をしながら食の好みもだんだん変化しているけど、昨年から修行で発酵微生物飲料を飲みだして、それからさらに変わっているかもしれない。
便の出方や質も実際大きく変わっている。
日々の瞑想での邪気の抜けも良くなっているように感じている。


f:id:ikkyuw:20190518222916j:plain



人間は体内にたくさんの微生物を飼っているが、特に多いのが腸内微生物(腸内細菌)である。

この腸内微生物が欲するエサになるものを人は食べたくなるわけだが(それだけではないが)、質のいい善玉菌が優勢だとそれが好むエサは質のいい発酵食品などが多くなる。


野口先生も食べ物は腐る手前が一番旨いと著書でよく言われているけど、よく発酵した状態を言っているのだと思う。

もちろん新鮮な状態のもの、活きてるものは美味しい。でも長期発酵熟成したものの旨味や味の深みは別物に美味しい。


腸内に質の悪い悪玉菌が優勢であればそれが欲するエサは腸内を荒らすようなものが増えるだろう。
そうなると心もさらに荒れる。 


体内の微生物の意思が人の意識(要求)に働きかけているところはとても大きいということである。


腸の中でも善と悪が争っている。
人界でも善と悪が争っている。

常に善が優勢になるように、善の助けになるものを注がなければならないということである。



年齢のせいもあるかもしれないけど、だんだん昔ながらの田舎料理みたいなのを好むようになって来ている。

日本食なら漬物、長期熟成の味噌醤油、納豆、魚の干物なんかがやっぱり美味しい。

あとは今のところパンもよく食べるけど、使ってる酵母や発酵具合でぜんぜん美味しさが違うなと思う。
普段から使い勝手がよくて買ってるのはメゾンカイザーのパンである。
池袋の西武でいつも買う。活元会に行く時に通るので帰りに多く買って冷凍したりしている。コスパも良いので普段食べるのにちょうどいい。

チーズはあまり食べないけど、ヨーロッパの長期熟成ものであまりクセのないやつは旨いなと思う。フランスのコンテとか。
国産ので熟成された旨さのあるのは食べたことがない。


f:id:ikkyuw:20190518223756j:plain

今日の日記

今週の休日、よく散歩して外でゆっくり食事して気分転換になったようで、自分自身のいい波動調整になった。

それですっきりしたことでここしばらくネガティブ気味だったことにも気がついた。


この前天皇即位の日のことも書いた。
その後いくつか神道系のブログなんかもみてみたがそこでは全く悪いようには書かれておらず、即位の式の時には雨もあがっていたようで、
あの時思ったのももしかしたら自分がネガティブだったせいで悪く受け取り過ぎてたのかも?とか、今になって考えたりしてるとこである。

前回書いた夢の話もあまりいい夢じゃなかったし、その後も同級生を誤って殺してしまう夢なんかも見てたし、、
いまいち自覚がなかったけど邪気抜きでネガティブなのも浮いてきてたのかもしれない。


そもそも近頃は良い状態の時、波動が高く整っている時にブログを書こうなんて思うことはまず無い。
良くも悪くも無いか、どちらかと言えば落ち気味のような時にほとんど書いている。
良いときには気持ちも積極的にやりたくなることがあるが他のことである。


f:id:ikkyuw:20190511230621j:plain



自分が密教の行で扱っているエネルギーは波動は高く繊細である。

神仏、天使とかレイキとか、他にもいろいろな名前のものがあるようだけど、いろいろ見て感じてる中でも自分が行で取り扱ってるのはとりわけ高い方の部類だと感じる。

一概には言えないけれど、高く繊細なものの方が意識の深部によく届くと感じる。潜在しているものがよく出てくる。

どう言ったらいいものか、、その人の根性の曲がってるのがよく正されるように作用する。
ただし、浄化の経過過程では潜在しているその曲がった根性が表層に浮いて出て来るため、紳士淑女を演じてることも出来ない。自分の中の禍々しさにも翻弄される。
こうした修行ではよくあることと言われる。

こういった浄化過程では意識が悪霊界にも通じやすくなる。修行者が悪霊界に墜ちる多いパターンであろう。


他力行では伝法を授ける人、その系譜が非常に重要だと言われる一つの所以がここにある。
正統なものを受けることで霊的に護られながら行に取り組める。
系譜を上に辿った高い境地にいる先人達に守護されながら行うことが出来るため安全性も高い。
他力行の良さの一つである。



f:id:ikkyuw:20190511230633j:plain

家系の因縁

先日見た夢、
親戚の誰かが亡くなって、葬式のあと皆が集まって食事をしていてそこに自分も同席してる夢だった。


それで起きてからふと思い返していた。

子供の頃から親戚がいっぱい集まる中に行くのは嫌だった。
そこにはいつもギスギスした嫌な空気があったからだと思う。
集まって食事してお酒を飲んで、顔は笑ってるけどその仮面の下はみんな般若じゃないかと思うほど(ちょっと大袈裟だが)漂ってる想念は子供だった自分にはストレスの近づきたくない不穏な空気だった。

特に父親の方は、母方の集まりに行くのは明らかに内心嫌がっていたのが子供心にもわかっていたけど、親戚との付き合いという義務感で行っていたのだろう。
結婚は家と家の結びつき、というのが強かった時代である。


田舎では今も盆や正月は親戚一同が集まったりとかよくするんだろうか。
皆が心から楽しんで集まってるような家もやっぱりあるんだろうか。

自分のところでは良かった記憶があまり無い。従兄弟に遊んでもらうのは楽しみだったけど。




f:id:ikkyuw:20190504224918j:plain




少し昔は家系、一族の中で厄介なカルマ(悪因縁)の消化をし合うというのが強く濃くあったと思う。
そういうものを背負ってる人が多かったと思う。
どこの家も一族内部での不和を抱えていて、それぞれの人生の足を引っ張り合うように切れない血の縁に縋ったりしがみついたりしていたものは濃くあったと思う。
それには義務感や体裁やら、財産や土地や墓の問題などなど、他にもいろいろあるだろう。


良く言えば一族の中で助け合う、愛と絆を深めるということもあるだろうけど、今の自分の目線から見ると、
なんだか狭い井戸の中でお互いに足を引っ張り合って上の広い世界へ這い上がれないでいる井の中の蛙かのように思える。

家系、一族のくびきに縛られて個人が自由に発展することを拒んでいるかのようにも見える。
昔の封建社会の名残りというか、そういうカルマに囚われている人はまだまだ多くいるのだろうか。




f:id:ikkyuw:20190504225158j:plain



今はもう時代は変わって来ている。
家系の横の繋がりとかにも縛られる必要はもうどんどん薄れてきている、と思う。
不本意な不要だと思える付き合いなどに貴重な時間を割くべきでない。


そんなことよりも今は、そしてこれからは個々人が自己実現を果たしてゆくこと、
それがなにより最も大事な時代である。とそう思う。
今を生きる人に求められている課題であるとも思う。

介護やなんかの問題にしても、家族、家系内だけで解決しなきゃならないという時代でもない。それがいいというものでもない。
介護のために若い人の自由が奪われてしまうというのでは未来のためにならない。


自己実現を果たすためには自立ということはやっぱり基礎になる。
「自立」「独立独歩」というのが基本的なキーワードになると思う。

これは自分に力がある事、自分に必要なものは全て自分が持っているのだということを認めてく、気づいてくことである。

自己の魂の覚醒の道ということだと思うが、
自分に無いことを認めて、外の何かに依存するという盲目的な状態から目覚めてくことであろう。


新しい若い人達の中には霊格も高く、足を引っ張り合うような悪因縁をほとんど持ってない人も増えているように感じる。
産まれ持ってそういうハンディが少ない人も多くなっている気がする。


個人レベルの話だけでなく日本のこれからということでもそうだろう。

西教授の話を聞いていても間違いないと思うところである。
アメリカの属国、ひどく言えば経済奴隷のような状態から抜け出して行くにも、
日本が自立、独立独歩という道をしっかりと歩みださなければならないと思う。
そうでなければ日本も国民も豊かになれない。



f:id:ikkyuw:20190504225810j:plain



できる限り多くの人が自己実現を果たしてゆく中で、これからの日本をより良く強く光らせることのできる人も増えて表舞台にも上がってくるのではないか。


不要なカルマ、悪因縁からはさっさと抜け出して、自分を信じ自己の道を力強く歩む者が増えれば、未来を覆う暗い闇も振り払われて行くものと思うのだが。

今日の日記

連休も関係なく今日も仕事だった。

令和の始まり、出だしからの雨模様であった。
新しい天皇陛下が即位されるその時からこの天気、

やはり多くの国民が期待をしているような明るく平和な時代になることは無さそうと思うところである。


元日などはここしばらく非常に穏やかな晴れの日ばかりだった気がするけどどうだろうか?

雨には穢れを祓い落としてくれる、浄化のために降ってくれることがあると思うが、
皇位継承即位の儀式、特別なハレの日であるその日にこのような天気とは、、、あまり良くは捉えられない気がする。その神意や如何に。



f:id:ikkyuw:20190502030858j:plain



元号が変わって良くなるように、明るくなるように、
期待、期待、期待、、、やはり人は期待をする。
見通しの暗い情勢の中にあって、期待に縋る気持ちも強くなるのだろう。

しかし、あやふやな期待に縋りながら今まで通りに過ごしていてもきっと好転はしない。
暗転して暗転して、追いつめられて尻に火がついて初めて好転の兆しが起こるのではないか。


見て見ぬふりをしてきたものを、ごまかして放置してきたものを、これからは積極的に直視していかなければなんにも良くはならないであろう。


出だしから雨模様の時代に、
闇を斬り裂く力が必要である。